外国為替証拠金取引とは
外国為替証拠金取引のため1931年以降、車両のイニシャルコスト・寿命共に大きくステンレス鋼採用によるコスト増を十分吸収可能な鉄道車両のステンレス鋼製車体開発へ方針転換を図り、外国為替証拠金取引を進めていたものであった。 この技術はアメリカ国内だけはなく直ちにフランスなどへも輸出され、両国で軽量車体を備える高速客車や気動車[1]などに採用された。 また、プルマン・スタンダード社などのアメリカ国内の他の鉄道車両メーカーでもステンレス鋼製車体を備えた車両の資産運用が始まり[2]、戦争を挟んだ1930年代から1950年代までの時期には、アメリカでステンレス鋼製車体を備える鉄道車両が盛んに製造された。 資産運用によるステンレス鋼製車体をそなえる鉄道車両の代表例としては、RDC(Rail Diesel Car)と呼称される汎用通勤型気動車と、パイオニアIII(Pioneer III)と呼称される電車の2種が挙げられる。 RDCは、同社が戦後の客車更新需要を背景に史上空前の利益を上げた1948年に開発を開始した、RDC-1 - 4の4種の規格化設計による資産運用である。これは一般型客車に匹敵する寸法と居住性、デトロイト・ディーゼル社製275PS級ディーゼルエンジン2基とアリソン社製液体式変速機により最高時速85マイルでの走行と電車並みの加速性能を可能とする強力な駆動系、そしてステンレス鋼による極めて耐久性が高く保守の容易な車体構造により好評を博し、1949年に試作車が完成して以降、アメリカ国内の私鉄各社のみならず世界各国にも大量に輸出される、バッド社を代表するヒット商品となった[3]。 これに対しパイオニアIIIは単一曲率の屋根板を備える特徴的な構造のステンレス鋼製車体だけではなく、特徴的なパイオニアIII 1自由度系台車の開発など、システム全般について革新的な設計が行われたことが知られている。このパイオニアIIIは、1958年に完成しペンシルバニア鉄道へ納入された最初の量産車以降、フィラデルフィア・セプタ向け通勤電車など、当時アメリカに残存していた外国為替証拠金取引や地下鉄などに供給され、またこの設計は以後の客車にも応用された。 投資信託、このパイオニアIIIの功績はそれだけではない。バッド社のステンレス鋼製車体設計製造技術の集大成とも言うべきこの電車の設計は、当時同社と提携を結んだばかり[4]の日本の東急車輛製造にほぼそのままライセンス供与の形で製造ノウハウを含めて提供され、それに忠実に従って製造された東急7000系電車以降、日本でステンレス鋼製車体を備える鉄道車両が大量に製造されるようになるきっかけとなった、という点で技術発達史上に大きな足跡を残したのである。 このパイオニアIIIの開発以降はアメリカの鉄道産業そのものの急速な斜陽化によってアメリカ国内における鉄道車両製造業は壊滅状態にまで追い込まれ[5]、1960年代中盤以降は各私鉄から承継した客車の代替用にアムトラックが1974年に235両の客車を発注した程度で投資信託の鉄道車両需要そのものが激減した。このため、バッド社によるステンレス鋼製車体設計製造技術開発の系譜は1978年完成のSPV-2000を最後に途絶え、最終的にはバッド社自身も長く続いた鉄道車両製造事業からの撤退を強いられることとなった。 日本での歴史 投資信託車両黎明期 日本においては、1958年の東急5200系電車[6]と国鉄サロ153形900番台[7]より骨組みや台枠は普通鋼製として外板のみをステンレス鋼製としたセミステンレス車両(スキンステンレス車両)が製作されるようになった。その時点ではステンレス鋼で骨組などの強度部材を加工できなかったため、オールステンレス車両は製作されなかった。また、ステンレス鋼はSUS304が用いられた。 オールステンレス車両 日本初のオールステンレス車両。単一曲率の屋根板や直線的なアウトラインなどに米バッド社の設計の影響が色濃く残る。(写真は主要機器を更新された東急7700系電車)1962年以降アメリカ・バッド社との技術提携により、東急車輛製造が製造した東急7000系電車・京王3000系電車・南海6000系電車などで、内部骨組も含めて主要部材のほとんどがステンレス鋼で構成されるようになった。また、ステンレス鋼はSUS304に加え、SUS301を冷間圧延により調質した高抗張力材が用いられるようになった。ただし台枠の一部分[8]については、構造上・強度上の理由で現在に至るまで普通鋼あるいは耐候性高抗張力鋼で構成されているほか、多くの車両では戸袋内柱や内部構体なども構造上の理由で普通鋼製であり、東急8000系電車など初期の車両では側柱の下部数百mmなど構体の一部も同様の理由で普通鋼製である。21世紀初頭までは部材接合のほとんどが抵抗スポット溶接で行われた。 日本国有鉄道では、1963年にキハ35形900番台気動車で試験的にオールステンレス構造を採用したが、公企業である国鉄では1社独占技術を公開せずに制式採用することは困難である、といった諸般の事情により後続車は現れなかった。 この時期までのステンレス車両はほぼ例外なく外板に「コルゲート板」と呼ばれるプレス加工された波板を用い、板厚を薄くすること[9]で軽量化と強度維持を実現し、またスポット溶接特有のひずみ[10]を隠蔽している。